弱い自分が信用を得るまでのステップ〜「君たちはどう生きるか」を読んで~
この本は、主人公コペル君が学校生活での体験をもとに感じたり考えたことについて書かれている。コペル君の叔父さんは彼の体験の意味するところをノートに書き溜めており、1年後コペル君に渡す。コペル君はそれを読み、亡き父親が彼に求めていた「人間として立派な人」に向け生きていくことを決意する。
そして最後に作者は問いかける。
高校生の頃、友達が「あの子の言ってること、おかしい!私は反対!」と私に言いながら、いざその子の前では「私もそう思うよー。」とニコニコしながら言っているのを聞きエッ!?と思ったことがある。
その時、私は頭の中で2つのことを考えていた。
1つ目は、
「私に合わせてただけなの?ほんとは何思ってるの?信用できない!」
2つ目は、
「嫌われたり、ハミられるのが怖いから相手に自分の思いを言えないだけかも。気持ちはわかるな。」
しかし、よく考えると自分も相手に合わせて思ってもないのに「いいね」と同調し、後から自分に嘘をついたことで自己嫌悪に陥っていることがよくあった。「合わせる自分いやだな」と。
友達の姿を通し客観的に「合わせてる自分」をみて改めて危機感を抱いたのだ。
「このままだと自分も『信用できない奴』になってしまう!」
信用できるってなに?
その答えの1つは、
自分の意見を表明して行動で示すこと
だと思う。「自分はこういう人間です」を主張してどういう考えのもと行動しているのかを知ってもらうことだ。当たり前だ。でもそれが難しい。何故か?
当時、クラスやグループ内での人間関係が全てだった。いかにうまくやっていくかに同調は避けられないもののように思っていた。
強い人の意見が存在するなかで異論を唱える。これは自らいばらの道を敢えて選んで進むことのように思えた。
孤立が怖いのだ。
自分の意見を表明することには、孤立するかもしれないというリスクが伴う。そして表明したら、万一、孤立しても行動で示しきる必要がある。だからこそ自分の意見は本当に正しいのかをよく考えるようになる。
意見を表明すること+行動で示すこと
信頼される人は大なり小なり皆が怖がるリスクを請け負っているのだ。
さて、クラスで目立たないおとなしい存在だった自分が意見を表明し行動することができたか、といえば否。すぐにはリスクは取れなかった。
正直な意見を言えないのは環境のせい、という考えはその通りだと思う。
が、私の場合、性格上、どこに言っても言えなかった。環境だけでなく、私が原因でもあった。
強くなる必要があった。
そこで行動に移したことがある。
それは、
同調しないこと
弱い自分には違う意見を唱える勇気はなかった。だから会話に加わらないことを選んだのだ。聞いていないふりをしたり、話題を切り替えたり。で、行動だけで示した。
そしてリスクの少ないところから自分を表明する練習をした。
仲の良い子に対しその子と違う意見を言う
→仲の良い子に対しその子と反対の意見を言う
→グループ内で違う意見を言う
→グループ内で反対意見を言う
・・・
のように徐々にハードルを上げていく。
その練習を続け、自分の意見を表明して行動で示すことに自分を慣れさせた。
それとともに発言権と信用が得られるようになってきた。
弱い自分だったからこそ「自分の意見を表明して行動で示す」ことの過程を考えることができたのだと思う。
その時の成長のことをこの本を読んでしみじみお思い出した。
さて、自分の内部を思い出していたのだが、コペル君の父親の言う「人間として立派な人」はどうだろう。これはまだ途上だな。まだ自分だけのことを考えて見ているから。まだ木をみている段階だ。森をみていかなきゃ。人の役に立てる人間になりたい。
自分を見つめなおす機会を与えてくれる本だった。